Vol.1 ― 「私の人生の春の日」感動的な最終回、タイトルが結末だったとは…

※この記事にはドラマのストーリーに関する内容が含まれています。

写真=「私の人生の春の日」放送画面キャプチャー


「愛するあなたと一緒にいる今が、私の人生の春の日です」

春の日は本当に美しいが、すぐに終る。寒く厳しかった冬を一瞬にして溶かしては、またすくどこかへ消え去ってしまう刹那である。「私の人生の春の日」が、タイトルのように素早く美しく永滅した。結末は、無条件のハッピーエンドを避けた。いや、むしろサッドエンドに近かった。ヒロインは生きるために頑張るよりは目の前に迫った死を受け入れたように見えた。家族、恋人とゆっくり別れ、最後には自分の身体を誰かに届ける臓器提供が暗示された。多くのことを考えさせる終わりだった。


韓国で30日午後に放送されたMBC水木ドラマ「私の人生の春の日」(脚本:パク・ジスク、演出:イ・ジェドン)では、カン・ドンハ(カム・ウソン)を始めとする家族に別れの挨拶をしながら人生の最後を準備するイ・ボミ(少女時代 スヨン)の姿が描かれた。


同日イ・ボミは、心臓だけでなく肺に浮腫ができるなど、症状が急激に悪化した。ついには彼女は気を失うに至り、イ・ヒョクス(クォン・ヘヒョ)は何としてでも娘を助けるために人口心臓移植手術を行い、心臓の寄贈者を探して手術しようとした。


しかし、心臓移植手術を受けるためには必要なプロセスが多く、病院長の娘だからと言ってそのプロセスを無視することはできなかった。そうしている間にイ・ボミの病状はさらに悪化し、意識を取り戻したイ・ボミは、「これ以上欲を出してはいけない」と手術しない考えを示した。


死を受け入れたイ・ボミは、自分に心臓をくれたカン・ドンハの死んだ妻ユン・スジョン(ミン・ジア)に「ありがとうと言った」とし、自分が余計に得て嬉しく、一生懸命生きてきた5年について感謝した。彼女はカン・ドンハに「もしこの心臓でなかったのなら、私は世の中を恨みながら誰かが私の代わりに死ぬことだけ祈りながら5年前に死んだだろうから。そうだったなら、私たちは出会えなかったし、今のように愛することも、愛されることも、このように幸せになることもできなかっただろうから」と話した。


これにカン・ドンハもやはり、短い間ボミが自分にくれたことについて感謝した。彼は「あの人が言ったこと、望んだこと、ボミさんが全部やってくれた。ボミさんに出会えなかったら、ドンウクと僕は今もぎこちなかっただろうし、プルンもバダもこのように幸せな時間は作れなかったと思う。母は今も孫たちの顔も見なかっただろうし、僕は毎日酒だけ飲んで、夜毎に悪夢にうなされていただろう。そしてたぶん、もう二度とこのような愛はできなかったと思う」と淡々と話した。


そのように二人は、別れをゆっくりと準備した。特にイ・ボミは自分の母に「もしね、お母さん。もし私に何かあったら、私への愛が残って、行き場を失ったら、それを全部胸の中に溜めて苦しまないで、プルンとバダにあげて?」と話し、カン・ドンハの二人の子供までお願いした。


放送の末尾に、イ・ボミは手術室に入った。どのような手術かは示されなかった。ただ、手術をしに入る二人が、別れの挨拶を交わした点で非常に深刻な手術であることがわかった。イ・ボミはカン・ドンハに「私たち、別れの挨拶、もうしたの覚えてますよね?ありがとう」と挨拶し、カン・ドンハも「僕もありがとう」と答えた。二人は最後に「愛しています」「さようなら」と挨拶した。そしてようやく手術室に入ったイ・ボミの隣には死んだユン・スジョンが横になっており、その隣にはまた他の人がいた。3人は一緒に手をつないだ。これは、ユン・スジョンの心臓を移植してもらったイ・ボミが、また違う誰かに自分の身体を寄贈したことを暗示するシーンだった。


春の日は帰ってくる。イ・ボミの人生の春の日は短く強烈に終わってしまったが、彼女が誰かの必要性のために渡した贈り物は、その人の人生に春の日をまた贈ることになる。そのように渡され、渡されながら春の日の温かさは永遠に続くのだ。短く強烈に終わってしまった恋人同士の愛が名残惜しくはあるが、結末は申し分ないほど善良で美しく、悲しくも意味深かった。強引なハッピーエンドよりは、余韻の深い最後を選択したのである。



元記事配信日時 : 2014年10月31日07時00分 記者 : チョン・ユジン




Vol.1 ― 「私の人生の春の日」感動的な最終回、タイトルが結末だったとは… OSEN

0 Response to "Vol.1 ― 「私の人生の春の日」感動的な最終回、タイトルが結末だったとは…"

コメントを投稿

Friends list